267646
HOME



←10月 09年11月 12月→
26 27 28 29 30 31 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 1 2 3 4 5 6
スペースでAND検索

分類
助成(5)
行事(143)
挨拶(5)
実習(16)
日課(15)
作業(20)
運営(85)
訓練(13)
クラブ活動(16)
振り返り(6)
自然(8)
保護者会(4)

最新レス

☆橋施連合同研修会 人権研修☆ 2009年11月2日(月)
分類:運営 [この記事のURL]












橋施連合同研修会の後半は人権研修です。
講師は一昨年に講演いただいた岩崎順子先生です。前回の「ガンが病気でなくなったとき」が好評で、今回はそのパート2となりました。

ご主人が肺ガンとなり、その介護を岩崎さんが自宅で子どもたちと一緒に頑張った実話を通して、生きるとは何か、家族とは何かを問いかける内容でした。
参加した職員の皆さんは懸命に聞きながらメモを取っていました。
しかし、いつの間にか話に引き込まれ、幾筋もの涙が頬を伝っていました。

講演あらすじ
とても元気だった夫、生前は歯医者に行ったぐらいだったが、たまたま受けた検診で肺ガンが見つかる。しかも、その時は既に体中にガンが転移していた状態だった。

夫婦には小学3年生の男の子、保育園の年長組みの男の子、そして4歳の女の子と3人の子どもがいる。
子どもに何と説明したら良いのか思い悩み、子どもには「お父さんの体にはバイキンマンが入ってしまった。みんなで応援したら免疫マンができるから、がんばろう」と説明。
夫の両親に一番伝え辛かった。親は自分の子どもが大きな病気になったり、事故にあったりしたとき、自分の体を投げ打ってでも助けたいと思う。

夫は電話では伝えにくいと思い、実家のある北海道まで行き説明することにした。
私に夫の母から電話が入り「息子より聞いたよ。ガンになったんだね。生きていると色んな事があるね。」
「悪いことは急にやってくるけど、良いことも急にやってくるから大丈夫だあ」と。そして私に「これから大変だね」とねぎらってくれた。

夫の手術の日は二人目の子どもが入学式の日であった。子どもの入学を祝いたい気持ちが、夫を思う気持ちで沈んでいたが、子どもが大きな声で返事をしたのを聞いて、エネルギーの大きさ、生きる力の大きさを感じた。
病院へ行き、手術の済んだ夫にその事を伝えようと、夫と会う前に思いっきり泣いた。笑顔で夫と話し、帰りにまた泣いた。

夫と別れようと思った時期もあったが、その峠を乗り越えこれで本当の夫婦になったと思ったときにガンを宣告された。
神様からのメッセージだと受け止め、この人と夫婦で良かったと思えた。

夫は温厚な人で他人と喧嘩や言い争いなんかしたことのない人だったが、病院である患者が「先生、わし散歩したいんよ。春風に当たったら病気も良くなるんと違うかな」と言ったら、先生が「検査結果からみても、まだまだダメですね」と冷たく言い放ったのを聞いて、
温厚な夫が「先生!人には病気やガン細胞もあるけど、心もあるんよ。患者としては心も診てくれる医者になって欲しい!注射や治療だけでなく、患者には春風に当たることも大きな治癒力になる」と大きな声で言った。

家は呉服業を営んでいて、夫は今まで店を閉めて休んだことがなかったが、入院前に「店を閉めて1週間旅行に行こうか」と。
店を従業員に任せて旅行に行こうと病院の先生にに相談したら「助ける道はないけれど、これからの事は相談して考えていこうか」と正直に言ってくれた。

家族で海を見に行った。下の女の子と私が浜辺で二人きりになったとき、私はこらえきれずに、小さな女の子の膝で大泣きしてしまった。
女の子は「お母さん、泣いてんのか」と言って、それ以外何も聞かずに小さな手で一生懸命に私の頭をなぜてくれた。

それからは、私は人に「頑張ってよ」と言えなくなった。その人たちは、もう十分に頑張っているのだから。
「よく頑張ったね」と声をかけたい。
今までの自分を人が認めてくれたとき、人は大きなエネルギーが体からわいてくる。泣くことで、明日を生きる力がわくことが、小さな娘に教えられた。

旅行から帰ってきて、夫にガンが末期であることを告知した。そうしたら、夫は「そうか、本当のことを言えなくてつらかったろう。悪かったな」と。
夫婦とは何か、親子とは、生きるとは何かをガンで考えることができた。

夫が親しく付き合っている住職に、これからをどう生きたらよいかと相談に行った。
夫が相談に行く前に私から住職に何もかも伝えてあった。
住職は夫に「残念ながら助かる方法はないが、しかしあの人の子どもか。それなら私も力添えをしようと手をさしのべようと思ってもらえるように、子どものために信頼を残すこと。そして子どもに生きる姿を残すこと」と話してくれた。
夫は「こんな俺にも、まだこんな役割があるんだな」と精神面で変わっていった。

風呂に入りたいと夫の希望をかなえるために、私の姉夫婦に手伝ってもらった。姉夫婦は「本人が言うようにしてやろう。それは死んでゆく人だからでなく、生きる力と希望を持ってもらいたいから風呂に入れるんだ」と。
11月で寒かったが家中のストーブを全部つけて暖め、姉夫婦が夫の両脇を抱え、私がはいつくばって夫の両足を両手で動かし、部屋から2〜3秒の風呂場まで15分かけて、風呂場まで連れて行った。

夫の療養介護中に、長男が「サッカーをやめたい」と泣いていた。「もう半月も前からやめたいと思っていたが、お母さんはお父さんのことでいっぱいなのに僕のことまで心配をかけたくなかった」と言って泣いていた。
こんな小さな背中で思い荷を背負っていたのかと思った。

人は生きていくことに意味がある。私は以前、認知症になった人を見て、こんな生き方は嫌だと思ったが、今はそういう気持ちが恥ずかしい。
人は死のうと思っても死ねない。認知症の人、高齢者の人、様々な人を見て人は生かされているんだと思う。

次男が小学校で作文を書いた。
「お父さんのお葬式で僕は悲しかったが、お葬式でお父さんの写真が笑った。お父さんは死んで天国へ行った。僕は安心した。」

人間は一生の内で会うべき人に全て会える。それはタイミングを外さずに。
だから人生には嫌なことはない。

終わり


nik5.53